2011年07月01日

筆者プロフィール

※2016年現在版に更新しました。

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■筆者プロフィール


川合裕之 Kawai Hiroyuki
1974年9月5日 岡山県生まれ 香川大学卒業
食品メーカー勤務後、移動販売開業を経て、2003年に食品安全研究所(現株式会社ラベルバンク)を設立。
食品の空容器収集から始めた食品表示と安全性に関するデータの調査活動をもとに、「食品の品質情報は見せたほうが得」をテーマとした「消費者にとって分かりやすい表示」の提案を核として、食品表示を中心とした安全性、機能性についての企業が抱える課題解決と、品質情報管理から販売促進までの進め方についてのサービスを提供する傍ら、講演活動を行っています。

主な事業では、「食品表示・規格書検査」と「規格書翻訳・管理業務」、「アレルギー等品質情報のウェブサイトでの情報発信と運用」、「規格書管理システムへの原材料名など食品表示用語データベース提供」サービス等を、国内の食品製造・流通業、輸入商社、検査機関や、海外の食品製造業、検査機関などに提供しています。
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■事業のきっかけ


「食品表示」をテーマにしようと思ったきっかけは、個人的な関心ごとからです。私はアレルギーが気になる体質ですので、体調が悪くなると生活環境や食べ物に気を使います。そうした背景から食品表示には関心がありました。(特に20代半ばのとき、転勤を機に住む場所が変わりアレルギーの出方も変わったことから、食品以外にもいろいろな要因があることを知りました)

そしていろんな観察をするうちに、「どうせ仕事にするなら自分も困っていて解決したいことをしてみよう」と思ったことが、最初のきっかけだと思います。

とはいえ、なんでも表示すればよいというものではありません。屋台販売で原材料や栄養成分を書いたところで、それを求めていないお客様が多いことも事実だと感じました。ただ、「見せる必要がないものはできるだけ見せたくない」という事業者側の心理も理解できました。義務でもないものを表示して間違うと、労力もコストもかかってしまうものです。

それでも、品質に関する情報などは、知りたいときに知ることができればと思います。この課題を解決するには、まず事業者側に「見せた方が売れる」仕組みを提供すればいい、ということを考えました。「食品の品質情報は見せた方が得」というキャッチコピーが第一歩目でした。一言で言えば、商品に「特徴を持たせる」仕事です。

品質に関する情報にも、原材料、原産地、添加物、栄養成分、製法、天然、有機、機能性など、いろいろなものがあります。これらを表示するにあたって発生する煩雑な業務の課題解決とあわせて考えることを、今でも業務の基本にしています。

今後も社会背景によって課題は変わってくると思いますが、そのときに合わせた解決を、とにかく一生懸命に考えて提供していきたいと思います。



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■経歴


ここからは興味(?)がある方に向け、詳しい経歴を書いています。


--1997年〜 就職、会社勤務

大学生のとき、 近所のスーパーでカップラーメンを大量購入。側面表示の会社住所宛てに、「自分はラーメンが好きで、必ず役に立つと思うからよろしく」というような内容の手紙を送りつけました。(人事には届かないケースもあったかと思いますが…。)そんな就職活動でした。ラーメンが好きだからラーメンの仕事をする、というシンプルな行動だったと思います。

目当ての会社に就職したのち、東京へ。スーパー、コンビニ本部への営業職としていろんなことを体験しました。その後大阪に転勤。よく量販店バイヤーをラーメン屋巡りに招待していました。エリア向け商品企画の必要性があり、責任者となって仕事しました。ラーメン審査員として関西ウォーカーに登場もしました。


--2002年〜 退職、フリーター時代

中小企業診断士資格取得を目指し、勉強していました。この頃出会った方達から、起業という生き方に強く惹かれました。 そして突然会社を辞めて、ラーメン屋でアルバイトを始めました。妻がびっくりしていました。5年少し勤めたので、27歳の頃だったと思います。ちょうど「原付での弁当販売」を始めようと思った頃にその原付が盗まれる事件もありました。警察の届出時に「職業:無職」と記入するときになぜか緊張したことは、今でも覚えています。

ここから創業初期にあたり、当時の私は「誰かから仕事やお金をもらうこと」ばかり考えていました。助成金申請などを調べては事業計画書を作って、それを説明する日々だったと思います。サラリーマンからビジネスマンへと頭の切り替えをするのは、これは大変難しいことだと、このときの経験から言えると思います。そこで商い感覚を身に着けようと経営者本などを読み漁り、「自分でビジネスをしようと思う者は屋台くらい引く根性がないとダメだ」とか読んだことをきっかけに、実際にやってみて失敗することになります。


--2003年〜 創業初期

事業計画書の作成活動により、大阪府の創業支援施設(インキュイット)に入居。計画書の事業開発には時間がかかるとの理由から、日銭を稼ぐために入居者仲間と共同で副業を始めました。車にオーブンを積み込み、移動メロンパン屋「ぱんくいっと」を開業しました。しかし警察や保健所に立ち退かされたり万引きされたりと、あえなく廃業。屋台商売の難しさと共同経営の難しさを同時に経験しました。

同時期に、食品表示にフォーカスした「食の安全」を追求する会社「有限会社タッタ食品安全研究所」を立ち上げましたが、移動販売の失敗もあり資金がなく困りました。結局、机とイスとノートパソコン1台でできるところまでやってみようと、自宅も引越し車も売り払ってコストを下げながら、試行錯誤を繰り返していました。


--2004年〜 空き容器収集

空き缶やお菓子の空き容器を集め、表示情報をデータベース化して傾向を分析し、その結果を食品メーカーに提供する「ラベルバンク」サービスを開始しました。施設にある自動販売機のゴミ箱や、入居者の方から空き容器をタダで大量に仕入れることができたので、その意味でも非常に助かりました。ゴミの山に埋もれて表示の研究をしていたので、今思えば施設内ではちょっとした変わり者と見られていたかもしれません。

初めての取引は、「ホームページ(当時私の手作り)を見た」と声をかけてくださった大手飲料・酒メーカーさんでした。そこで気をよくし、「食品表示の変化を定点観測し報告するサービス」や「注意書き事例集」という幻の冊子と立て続けに発売しましたが、さっぱり売れませんでした。大量の在庫は戒めのためにしばらく保管していましたが、今は1冊だけ残しています。


--2005年〜 講演と通信販売

この頃様々な食品メーカーが機能性を訴求し始めたことから食品表示に関する講演依頼を受け、シドロモドロと話をしたところ思いがけず反響がありました。少しずつ、食品表示の仕事を中心に、商品開発のお手伝い、通信販売など販促の企画提案、ホームページ関係の仕事をいただくようになりました。具体的に言えば「原産地の様子など品質情報をホームページに充実させた通信販売事業をすればうまくいく」という提案の仕事です。(実際にはそれだけでは売れないことを、後に思い知らされましたが…。)その後各地で講演をすることになったきっかけも、この年にあったと思います。

通信販売支援の経験から生まれたインターネットシステム開発の推進により、倉庫まで借りて保管していた大量の食品空き容器(臭いの問題もあり)を処分しました。システム利用サービスも多くリリースしましたが、開発と運用のギャップに悩まされるなど、よくあるプロダクト志向の難しさを身をもって経験しました。


--2007年〜 海外取引と輸入食品

設立当初の計画(=皮算用)ではシンガポールにオフィスがあるはずの年。もちろんさっぱりだったので、せめてもと外国人社員の導入を進めました。まずは国内の大学生が何人か来ていたので、この外国版を始めました。中国、ブルガリア、イギリス、インドネシア、シンガポールから少しずつ研修やアルバイトとして来てもらえるようになりました。

海外からの連絡による初の外国人(タイ)正社員と初の得意先顧客も生まれました。メールとSkypeだけで採用した外国人を空港で迎え、会社の近所に社宅を契約し、輸入食品の表示業務などを少しずつしてもらいました。ただ英語が得意ではないまま進めたため、多くの失敗を経験することにもなりました。社員にも、お客様にも迷惑をかけてしまったと思います。異なる文化間でのコミュニケーション、異なる言語での契約について、その重要性を改めて理解できました。


--2010年〜 ものづくりと輸出

このころ食品表示の制度運用に大きな転機があり、食品製造支援に注力しました。食べ物を作る人を支えるには、自分自身も食べ物を作る人でありたいと思ったからです。しかし想定していた日持ちが実現しないとか、原材料や添加物に間違いがあったとか、実際に製造に関わらないと分からなかった経験ができました。

またこれを海外に売ることもしてみました。香港では輸出での取引をはじめ、広告から販売までしてみましたが、日本との商習慣の違い、とりわけ売価の違いが大きな壁となりました。中国にも何度か行きましたが、今度は規制の壁がありなかなか販売まで至ることができないなど、多くの課題を経験することになります。


--2012年〜 難しい仕事

ひょんなことから、大学で講師をすることに。東京農業大学生物産業学部(網走)に、年1回の講義に5年間通いました(結局アザラシには会えず・・・)。大勢の学生を前に話をすることは、仕事で講演することよりも難しかったです。

著書の依頼もありました。締め切りまでかなり短かったので大変でした。今読み返すと、勢いで書かれていることが分かります。講義や著書の経験から分かったことは、私は人に何かを教えるということが得意ではないということでした。講演によく行きますが、いつも準備に悩みます。自分で仕事をしてしまうのが好きなのだろうけど、それでも自分だけでできる仕事では多くない、とかいろいろ考えた時期です。

2015年までもいろいろありましたが、今も続いている課題もありますので、このあたりにしておきます。


--今後の話

こうして経歴をまとめると、過去はいろいろですね。でも大切なのは未来だと思います。仕事をするからには、開発する商品やサービスは業界のパイオニアを目指し、利用者数で世界一を目指していきたいと思います。世界一といっても特定の分野での話なので、小さくても強い会社像、という感じです。社員が海外旅行に行ったときに、自分たちが関わった商品を違う国で見ることができる、地味だけどうれしい瞬間を提供できる会社にしたいです。

ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました。今でもこうしていろんな体験ができるのも、これまでに仕事や依頼をくださったお客様、仕事をしてくれた社員のみんな、いろいろ応援してくださる関係者の皆様、そして大変なときでも支えてくれる家族と友人のおかげだと思います。ありがとうございます。

とにかく元気でやっていこうと思います。この日記も少しずつは更新を続けていきますので、今後とも温かい目で見守ってくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。


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※個人的なご連絡はこちらまでお願いいたします。
posted by kawai at 12:46| 筆者プロフィール